2016年4月14日木曜日

ダンスで哲学

最近にはじまったことではありませんがよく真面目だねと指摘されます。そして自分でも真面目だなぁと思うことが多々あります。真面目だからいいってものでもなくて、真面目すぎて困ったりすることも多々あります。



真面目に真面目なのを直そうとしているのだからなおさら真面目です。



そんなわけで最近真面目にいろいろなことを考えています。



真面目に考えすぎるのをやめて自分の心を聞く方法を真面目に探してます。



その過程は本当に修行そのものだなと思います。
突き詰めれば突き詰めるほど、社会の仕組みはそれに対応していないからです。私たちは自分の心を聞くということを忘れて目的を果たすために色々なことを犠牲にしてきました。



ダンスも劇場で踊るために様々なものを犠牲にして発展を遂げてきました。だけどその目的を果たすために同時に色々なものを失いました。ダンスは常に社会を反映しているし、ダンスは人間そのものなんです。




私にとって踊るということは自分を愛することであり、哲学の実践でもあります。自分の人生、身体、魂、すべてを慰め、浄化し、愛して、色々なことを学ぶ、そういう行為です。



そんなダンスを最近は失った感じがしていて、それを思い出すために母親の胎内にいたころの記憶をたぐったりしています。他人を愛するために、今は自分を愛するを徹底的にやらなくてはいけません。



自分には足りないものだらけでまだまだ勉強が必要だと感じる一方で、最近ダンスは他人に学ぶものではないとも感じます。自分のダンスをするために必要な技術は先人に学ぶべきですが、そのあとにどんな哲学をするかは個々に委ねられているからです




この考え方は群舞という文化を持つダンスに対する矛盾でもあります。平均化、統一化する過程でやはり人間は色々なものを失うからです。もちろん揃えるだけじゃない群舞もありますが、やっぱり個々で徹底的に深めていく作業とはすこし異なります。



でもこんなことを散々考えたり話していて結局やることは身をまかせる、ということのみです。大事なのは今であって過去でも未来でもありません。未来なんて存在せず、存在するのは今の積み重ねのみだからです。これがまた修行級に難しいのですが...(というか修行)。人間の性ですね。



その過程で大事なのが手放すということです。必要ならば何度でも、何でも、手放す。しがみつくのではなく、諦めるのではなく、受け入れて手放す。手放すは決別のようなものではなくもっとやさしいのです。


手放すというと失うように感じますが、手放すことで本当に人生の一部になるし"手放す"はある意味自分の選択やそれに伴ってやってくる出来事を信じることでもあります。



こんなことが最近わかってきたこと。まだまだ修行が足りんです。



今日髪をばっさり切りに行ってきます。最近はもはや髪の毛も必要ないなと感じます。全部剃りたい。笑    ※今日は剃りません 




トゥールーズは暖かくなってすっかり春模様です。日本も花見シーズンですね〜。桜が恋しいですがまだまだやることがいっぱい。ふっと力を抜いて流れに身を任せたいと思います。




相変わらず息抜きになっている料理ですが、先日はあんぱんが食べたくてあんこから作りました!なんでも作れるもんだなぁ、と感動。



バラバラな内容ですが近況報告でした〜それではでは